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大阪地方裁判所 昭和32年(わ)1842号 判決

被告人 山本義夫こと 李元善

主文

被告人を懲役六月に処する。

未決勾留日数中百日を右本刑に算入する。

本件公訴事実中公務執行妨害傷害の点は無罪

理由

一、罪となるべき事実

被告人は

第一  昭和三十二年八月十二日午前一時頃飲酒酩酊の上大阪市西成区山王町三丁目十二番地萩之屋旅館こと萩原ミサ方に知人である千代子を訪ねていつた際、右萩原ミサ子より右千代子が不在であると告げられたが、その不在を疑うと共に右ミサ子の応接の態度に腹を立てて同女方前道路上から手拳位の大きさの石を同女方玄関目がけて投げつけて同女所有の玄関口ガラス一枚(時価二千円相当)を破壊し以て損壊し

第二  同日午前二時三十分頃同市西成区東四条三丁目三十六番地附近道路上において辻井周一(当十八年)に対し「その背広を脱げ、俺はオンソニーと言つてこの附近で知らない者はない、この前も警察官と喧嘩したんや」等申向け同人着用の背広を交付すべきことを強要し若し右要求を拒めば如何なる危害を加えるか判らない気勢を示して脅迫して同人を畏怖させ、因て即時同所において同人より同人所有の背広上下一着(時価一万五千円相当)の交付を受けてこれを掲板したものである。

二、証拠(略)

三、法令の適用(略)

四、弁護人の主張に対する判断(略)

五、本件公訴事実中一部無罪を言渡した理由

本件公訴事実中被告人は昭和三十二年七月三十一日午前零時頃大阪市西成区山王町十五番地附近道路上において通行人と口論をなしていたところ大阪府西成警察署勤務巡査部長川村正雄がこれを発見し、この時被告人等が今にも喧嘩を始め兼ねない情勢にあつた上同所周辺には数十人の見物人が蝟集して居りこの場で被告人等にその事情につき質問することが交通の妨害になると認められたので同巡査部長が被告人等に最寄の派出所に同行する様求めた処、被告人がこれに憤慨し同巡査部長に対し矢庭に手拳で口部を殴打し、更に足払い背負投げでその場に転倒させる等の暴行を加え以て同巡査部長の前記公務の執行を妨害し、前記暴行により同巡査部長に治療約六日を要する右側肘関節部擦過症及び上顎門歯部打撲症等の傷害を蒙らせたものであるという事実について弁護人は前記川村巡査部長は職務質問につき警察官職務執行法第二条第三項の規定に反し強制的に被告人を連行しようとしたもので違法行為をしたので適法な職務執行とはいえないから公務執行妨害罪は成立せず、又本件傷害行為はこれに対し自己を防衛するため反撃を加えて与えた結果であるから正当防衛行為として罪とならないものであると主張するから按ずるに、証人川村正雄の当公廷における供述、医師村岡節郎作成の診断書、木崎静雄の司法警察員に対する供述調書、畑中かつの検察官及び司法警察員に対する供述調書、被告人の検察官に対する昭和三十二年九月三日附供述調書及び司法巡査に対する同年八月一日附供述調書と被告人の当公廷における供述を綜合すると被告人は前記七月三十一日の前日午後十一時四十分頃前記道路上で氏名不詳の男と喧嘩して同人より暴行を受けたので反撃しようとした際同所に居合せたポン引の通称「けん」という男等に止められ今度は同人等に食つてかかつていたところ前記川村正雄等より職務質問のため附近の飛田巡査部長派出所に同行を求められ、右川村を除く他の巡査と共に同所にいつたが、再び前記道路上に引返して翌三十一日午前零時頃右ポン引の男に対し被告人に暴行を加えた男を何故逃がしたかといつて大声で怒鳴り肩を突いたりしていたところ、これを発見した同所附近を警ら中の川村正雄巡査部長が同所周辺に人だかりが一杯で被告人等が今にも喧嘩を始め兼ねない情勢にあつたとみて「どうした早く帰らんか」と注意したが、尚も相手に食つてかかつているので左後方より被告人の肩に手をかけ「早く帰れよ」といつたのに対し、その手を払いのけ、同巡査部長が更にその場で職務質問することが交通の妨害になると認めて交番に行こうといつて被告人の左手首を左手で、二の腕を右手で掴んで附近の派出所に連行しようとしたのに対し「何をするか」といつてこれを払いのけその際同巡査部長の口部を殴打し、更に同巡査部長が被告人が交番に行く必要がないというのに右同被告人の左手首と腕を両手で持つて派出所に連行すべく五、六歩行つたところ、これを振り放さんとして暴れたためその場に転倒させて右の如き各傷害を負わせたことが認められる。而して右認定事実に基き川村巡査部長の所為が適法な職務執行であるかどうかについて検討すると、警察官としては個人の生命、身体、財産の保護、犯罪の予防公安の維持等の職権職務を有するのであるがその権限行使の方法については刑事訴訟法に基く外警察官職務執行法に基いてなされることを要するのであつて、右の如き状況で被告人の肩に手をかけ「どうしたのだ」と尋ね又は「早く帰れよ」ということはもとより適法な職務執行であるが、その際被告人よりその手を払いのけられたからといつていきなり被告人の腕を両手で把えて派出所に強制的に連行しようとするのは明らかに行き過ぎの違法の行為であり同法第二条第三項に違反するものであるところ、それを引き放されてから更に同様の方法で派出所に連行すべく腕を把えて五、六歩行つたというのであるからその所為は適法な職務執行とは謂えずこれに対する暴行は公務執行妨害罪が成立せず、右巡査部長の所為は急迫の違法な行為であつてこれに対し防禦上必要妥当な範囲の反撃は正当防衛として許されるものでなければならないのである。尚警察官職務執行法は警察官が機に臨み全然如何なる程度の実力行使を許さないものとしたものとは解せられず殊に同法第五条において犯罪がまさに行はれようとする場合に制止することができると規定しているのであるが、本件の場合は右の制止の措置とも解せられないし(急を要する場合制止するため腕をとつて引き放す程度の実力行使は職務行為であると謂える)、尚川村正雄の証言によれば同法第三条の保護をしたわけでもなくその他刑事訴訟法に基く権限を行使したものとも解せられない。次に本件傷害行為が正当防衛行為と謂えるかについて検討すると、当初口辺を殴打したのも、更に転倒させた結果傷害を負わせたのも何れも同巡査部長が被告人の腕を両手で把えているのを振り放さんと自己を防衛するため止むを得ずに出た結果とみられ、公訴事実記載の如く背負投げで転倒させたとは認められない(畑中かつの司法巡査に対する供述調書に背負投げのようにして投げたとの部分があるが、同人の警察官に対する供述調書及び証人川村正雄の当公廷における供述と対比しその儘信用できない)からその防衛の程度を超えたものとも認められず、弁護人主張の如く正当防衛行為として罪とならないから結局本件公務執行妨害傷害罪につき刑事訴訟法第三百三十六条により無罪の言渡をする。

(裁判官 八木直道)

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